2000年 田中康夫氏が長野県知事選挙に初当選
1985年 阪神タイガースが21年ぶりにリーグ優勝
1981年 北炭夕張新炭鉱ガス突出事故(死者93人)
1964年 中華人民共和国が初の原爆実験に成功し、世界5番目の核保有国となる
1885年 上野駅開業
北炭夕張新炭鉱ガス突出事故
1981年10月16日午前0時、ガスの突出事故の発生を確認し、救護隊が救出作業を開始した。77人は自力で脱出することができたが、救護隊により34名は遺体で収容、10名を坑内で死亡確認している。
同日午後10時30分頃にガス爆発による坑内火災が発生、救護隊の10名も巻き込まれる二次災害となった。作業服の持つ静電気が原因で充満したガスが発火したと推測されている。
坑内には59名の安否不明者が取り残されていたが、火災が収まらず、注水による鎮火の検討をされたが、注水は坑内にいる不明者を見殺しにする措置の為、安否不明者の家族から猛反発を受けた。ようやく10月22日に不明者全員の家族から同意書を取り付け、翌10月23日、坑内に夕張川の水が注水された。
約4ヶ月間、注水作業を行い、その後の排水作業により遺体の収容作業が再開されたものの、遺体収容・確認作業は難航を極め、最後に残っていた遺体が収容されたのは事故から163日後の1982年3月28日のことであった。
また、この事故により石炭産業の衰退は決定的となり、夕張市は「炭鉱から観光へ」の流れを加速させ、過大な観光開発へ突き進むこととなり、そのことが、後に財政再建団体へと転落する大きな要因となった。